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 にぎやかな中をひとりで歩くのはさみしい。
 家族づれ。友達どうし。恋人たち。その中をひとりぼっち。
 今夜の花火大会は会社の人たちと見ることになっていた。仕事を離れても仲の良い人たちと。
 土日は基本的に休みだけれど、土曜日はかならず一人、出勤しなければいけないことになっていた。今日の当番が私。
 土曜日の仕事はいつも早く終わるのに、今日に限って遅くなってしまった。みんなとの待ち合わせにも遅れてしまったし、新浦安駅からひとりで歩くことにもなってしまった。会場行きのバスを待つ人が多すぎて、歩いたほうが早いから。
 ダイエーの横を通ったあたりで貰ったうちわもあおがず、急いで歩いていた。
 花火大会が始まるのは七時半。いまは六時四十分。
「大丈夫だって。ふつうに歩いても二十分くらいで着くから。じゅうぶん間に合うって」
 同期の典ちゃん。携帯電話での声はのん気。
 大丈夫と言われても、この花火大会の会場に行くのは初めてだった。この街に来たことすら初めて。
「でも急いで行くね」
 そう伝えて電話を切った。
 白とか紺とか緑とか。浴衣姿も多い人の波。この波についていけば会場に着くのだろう。けれど、みんなみんなのんびり。典ちゃんの声みたいにのん気な歩調。
 こんな調子で、いつになったら会場に着くのだろう。
 冷房のきいた会社の空気に慣れてしまっているせいか、外にいることは辛い。黙っているだけで湿ったものが肌にはりついてくるのに、早歩きすればするほど更に湿ってくる。
 家族づれ。友達どうし。恋人たち。白とか紺とか緑とかの浴衣。
 のんびりのんびり続いていく波。
 すでにみんなそろっているらしい会場に、早く着きたい。けれどこの波の中でひとり、妙にがんばって歩いていることが何だかむなしくなってしまう。
 波の中、たまに感じる誰かの汗のにおい。
 ダイエーの横で配られたうちわを、隣を行くお兄さんがパタパタあおいでいた。


 マンション群の窓からこぼれる明かりがきれいだなあと思ったら、空の色がずいぶんと黒に近づいていた。そういえば、ダイエーの近くを歩いていた時よりだいぶ涼しくなった気がする。
 下に川が流れている橋。そこを、やっぱりひとりで歩いていた。交通規制のせいか道路に車が少なかった。人ばかり。
 このあたりのマンションに住んでいる人たちは、今夜の花火を窓から見るのかな。それもいいな。と思っていると、やけに存在を主張する車の音。
 びっちびちに人間が詰みこまれたバスが左を通っていく。きっと、駅前からやってきたバス。
 停車して、ドアが開いて、よっせよっせと乗客が降りていく。
 あんなになるまで詰めこまれるよりは、歩いた方がまし。やっぱり歩いてきて良かった。
 橋のいちばん高いところまで歩く。
 視線の先に、今までにない人だかりが見えた。道のつきあたりにいくつもの屋台が連なって、たこ焼きやらフランクフルトやらの文字。交通規制でそろそろ機能しなくなるだろう信号は赤。おまわりさんが吹く笛の音。
 やっと会場だ。
 携帯電話を取り出しにかかる。肩にぶらさげていたカバンをあけたところで、タイミングよく着信音が鳴った。
 絶対典ちゃん。
「どーお? 麻紀ちゃんいま、どこらへん歩いてるのぉ?」
 相変わらずのん気。
 小さく笑って私は答えた。
「あのねぇ、たぶんもうすぐだと思うんだけど。いま、橋のうえを歩いてる。で、左におっきなマンションが見えてて、真っ直ぐつきあたりに屋台とか出てるのが見えてるんだけど」
「あ、そこらへんなんだぁ。そこから、すぐって言えばすぐなんだけど、麻紀ちゃん、ここ初めて来たんだよねぇ。わたしたちが場所とってるところとか、口で説明しても分かるかなぁ。あのねぇ、大きなクレーンが二つあって、そこを道路沿いに右に曲がったところ真っ直ぐ行くと建物が見えてくるんだけど」
「や、ごめん。ぜんぜん分かんない」
「そっかぁ。んー。分かった! じゃあ、あたしがこれから麻紀ちゃん迎えにいくから、いまから言う通りに歩いて来てみて。ちょっと、待ち合わせしよっ」



 なにかおかしい。
 典ちゃんから言われた通りに歩いたつもりなのに、全然違うところに来てしまったように思う。
 大きなクレーンが二つあるからって、どこに?
 つきあたりを道なりに右に行けって、なにが?
 私がいまいるところは、なぜか広場だ。広場というか公園というか。
 浦安市納涼花火大会と書かれた看板の向こうには、公園の敷地にレジャーシートを広げてくつろぐ人々の顔。顔。顔。けれど典ちゃんに言われた大きなクレーンなんか見えないし、つきあたりのある道路なんて有りもしない。
 もういちど電話をかけてみる。
 事情を説明すると、典ちゃんは電話の向こうで大笑いした。
「どこをどう取れば、そんなところに迷いこむのぉ? ぜんっぜん違うところにいるんだけどぉ」
 待合場所への行き方を聞きなおしてみる。さきほど無理やり記憶した行き方と、まったく違う。情けなくなった。私が完全に勘ちがいをしていた。
 分かったごめんね。すぐ行けるように急ぐね。
 そう言って電話を切ろうとしたら、電話の向こうから「あっ」と声があがる。
 もう少しで切るところだった。
「なに? どうしたの?」
 あらためて携帯電話を耳にしてすぐに、典ちゃんが言う。
「あのさ麻紀ちゃん。あたしじゃなくて、井上さんが麻紀ちゃんのこと迎えにいったよ。五分ぐらい前に行ったんだけど、もしかしたら井上さんもう、先に着いちゃってるかも」
 井上さん。
 名前を聞いたとたん、心臓がいそがしく動きはじめてしまった。
 それでも典ちゃんには何でもないように「分かった、ありがとう」と返して電話を切る。
 井上さんが今日、来るのか来ないのか。
 今朝から気になってはいた。
 けれどゆうべ、井上さんは花火大会のことについて何も話していなかった。だからてっきり、来ないものだと思っていた。
 でも来てるなんて。
 しかも、私を迎えにわざわざ来るなんて。


 迷いこんでしまった公園を抜ける。新築マンションが並ぶ道なりにそって歩き始める。
 普段はここを車がびゅんびゅん通っているのだろう。けれどいまは特別。この道路は花火を見に来た人たちだけのもの。
 道の脇にところどころにある即席の焼きそば屋さん。かき氷屋さん。ピザはいかがですかと叫ぶピザハットのお兄さん。一箱千円。
 出店をちろちろと眺めながら歩く人たちはやっぱりカップルだったり、家族連れだったり。
 ひとりでいるのは私だけ。
 みんながみんな浴衣だったり、リラックスした格好だったり。
 いかにも会社帰りな格好なのは私だけ。七分袖のシャツに黒のタイトスカート。つま先もかかとも、しっかり隠れているヒール靴。
 典ちゃんの説明はやっぱり正しかった。
 言われたとおりに歩いてみると、高層マンションの向こう、左に、大型のクレーン。
 マイクを使ったアナウンスが流れている。花火大会の説明をしているようだけれど、よく聞こえない。
 腕時計を見ると、もうすぐ七時三十分。
 先ほど迷ってしまったのがまずかった。あそこで完璧に時間をロスした。みんなのもとに行けないまま、花火が始まってしまうかもしれない。
 高い高いクレーンが二つ、だんだんと近づいてきた。よい観覧スポットにも近づいてきたのか、道の脇にシートを広げて座っている人がますます増えている。
 井上さんは二年先輩だ。
 会社では斜め向かいのデスクに座っている人。
 仕事の仲間という関係でしかなかった。会社でも、しょっちゅう開かれる飲み会の席でも、井上さんとはふつう。ふつうに仲良しだった。ゆうべ、営業所からの出張を終えて二人でビルを出るところまでは。
 ちょっと様子が違うと思ったのは、新橋駅に向かっている時だった。さらっと嫌味を言って、私に小さな憎しみを抱かせてくれる、いつもの井上さんではなかった。
 出張先から出たとたんに緩めるネクタイもそのまま、井上さんは口を開いた。
「谷村ってさ、付き合ってる人、いんの?」

 そのあとのことはよく覚えていない。
 新橋駅の改札を抜けた時にはすでに「付き合ってほしい」と言われたあとだった。
 付き合っている人はいない。
 好きな人もいない。
 けれどそれ以前に私は、井上さんに恋愛感情を持っていない。
 だから付き合えないと断った。
 どんな言葉で断ったかは覚えていない。井上さんが傷つかない言葉をちゃんと選べたのかさえ。
 あの時の井上さんの神妙そうな顔を思うと、いまでも気持ちがぐらぐらしてしまう。
 私が私ではないような感覚。
 

 遮るものが少なくなって、二台のクレーンが更に大きく見えるようになった。つきあたって右に続いている道路も、しっかり見えている。典ちゃんが言ったとおりだ。
 花火が上がるのを待って座っている人でいっぱい。顔がいっぱい。
 道路をつきあたって右に曲がったところ、中央分離帯のところでたぶん、井上さんが待っている。
 昨日の今日で会うのが、気まずかった。
 あらかじめ典ちゃんに誰が集まっているのか聞いておけばよかった。井上さんが来ていると分かっていたら、来なかったのに。
 なんて、いまさらずるい考え。
 気まずさから逃げるわけにはいかない。
 それでもどうしても出てしまった溜息と同時だった。かけ声があがったのは。
 5。4。3。
 カウントダウン。
 会場にいるみんなで一斉にかけ声。何人がこの場所にいるのだろう。一斉にあがる声に、あっさり興奮してしまう。
 2。
 1。
 歩き続けていた私はそこで、思わず立ち止まった。
 光が見えたのは、大きなクレーンよりもう少し向こうのほう。線の残像を残しながら天にのぼって行った光が、ぱぁっと花を開かせる。だだっ広い闇の中で。
 大きな光。
 白いような、黄色いような光。
 会場じゅうからオオ! と歓声。
 ドーンと爆発音が響いたのは花が完全に開いてしまってからだ。空気を伝って身体にとどいた音に反応してしまい、鳥肌がたつ。
 しゅるしゅると天で消えてしまった火花。残ったのは花の形を残した煙のみ。それでも拍手があがる。どこからともなく。
 つられるように手を叩いていた。
 道路の真ん中で立ち止まったまま。天を見上げたまま。
「おい」
 右から声をかけられて「はい?」と返事をすると、井上さんが立っていた。私のすぐ隣に。
 うおっ! と声をあげそうになってこらえる。
 だけど体が大きく反応してしまったことはどうしようもなかった。止められなかった。
 私を見下ろして、井上さんが顔をしかめる。
「おっまえ、人を化け物みたいに見んなよ、なぁ」
「いやっ、ち、違いますよっ。急に隣にいるもんだから驚いただけですっ」
 ほんとかよぉ。
 井上さんはボソッとつぶやいてうつむいた。
 うつむいた拍子に見えてしまった、困ったように苦笑いした顔。
 私がそれを見て切なく思った時間は、ごくわずかだった。チクリと胸が痛んだのもわずかな間だけ。井上さんはすぐに顔をあげた。
「谷村おまえ、おっせぇんだよ! もうちょっと早く来いってぇ。みんな谷村来るの待ってて、ビールにもメシにも手ぇつけてないんだぞ」
「……おそいって、言われても」
 いつもと同じだ。
 いつもと同じ井上さん。憎まれ口を叩いてくる井上さん。
「だって、だって私なんか、いままで仕事だったんですよ? 仕事で遅くなったんですっ。なんか今日、異常に件数多くって」
 んーんーんー。
 はいはいはい。
 そうなのそうなの?
 私の言い訳を面倒くさそうに聞く井上さんの姿勢はこうだ。
 どこを見ているか分からない視線の先。そっぽをむいたまま左手の小指で耳いじり。
 そして、妙に響きのある声でこんなことを言う。
「まただよ。また出たよ、谷村の、心のこもってない言い訳が。また出た」
 私に、小さな憎しみを抱かせてくれる井上さん。
「……心がこもってないって、それ、何ですかっ?」
 
 
 
 井上さんのあとをついて歩きながら、ここぞとばかりにうしろ姿をじっくり見てしまう。
 ゆうべのことがなければ、井上さんの存在を特に気にすることはなかったと思う。
 黒いデニム地のストライプシャツ。ベージュ色のストレートパンツ。半袖から出ている腕の形がきれいで、いまさらながらドキマギした。
 手足がけっこう長いんだなぁと思いながら、実は身長もけっこう高いかも。と思う。180センチくらいあるかもしれない。一年とすこし一緒に仕事してきたのに初めて気づく。帰りが一緒になって、何度か並んで歩いたことだってあるのに。
 先ほどの一発目を皮切りに、花火が上がり続けていた。ぼんやりと暗かった風景が、フラッシュを浴びて明るく照らされる。ドンドンドンと身体に伝わってくる爆発の音。何度も何度も。
 花火が上がっているのは残念ながら私の背後。井上さんは花火からどんどん遠くへと私を連れて行ってしまう。
 光と音につられて、どうしても振り返ってしまう。ちょっとだけ立ち止まって花火を見ていたら、井上さんに怒られてしまった。
 おいおいって。
「みんな谷村のこと待ってんだから。それよかちゃんと付いてこい? うしろ向きながらボヤっと歩いてると、誰かにぶつかるぞ」
 ゆうべのことを、井上さんは一言も口にしなかった。
 急にごめんな、とか。気にしないでな、とか。
 そんな言葉を期待する私もどうかと思う。井上さんから話題を出されて気まずくなるのも辛いけれど、何も触れられないのも辛い。
 私はどうしたらいいのだろう。
 井上さんが何か言ってくるまで黙っていたほうがいいのだろうか。どう、接したらいいのだろう。
 私と付き合いたいと言ったことを、井上さんは無しにしたいのだろうか。何もなかったことに。
 井上さんはずんずんと前を行く。
 半袖シャツから見えている形のいい腕。
 前を行く人が振り返って何か言うのを期待して待っている、この状況って。
 何なんだろう。
 井上さんと一緒にいるのに、まるでひとりでいるみたいに、さみしい。
 ヒュウウと音がしたので、また光がのぼっていったことが分かった。暗かった景色がパッと光ったので、花が開いたことも分かった。私のうしろの空で。
 会場じゅうにびっちり座って見あげている人たちの顔が、さああと明るく照らされた。
 ドーンと天を突き抜けていくような爆発音。
 井上さんが、クッと笑ったように聞こえた。
「あのさあ谷村」
 はい?
 井上さんがにやにやしながら振り返ってくる。
「好きなんだよ」
 言われて、声につまった。
 いままた? いきなり?
 井上さんの顔を見上げる。
 私よりかなり背が高いと認識した人が、笑い顔のまま続けた。好きなんだよ。
「俺、花火を見てる人の顔を見るのが好きなの」
「顔? ですか」
 顔。
「そうそう」
 井上さんは満足そうにうなずいて「よく見てよ」と私を促した。
 会場じゅうにいっぱいの顔を。花火が上がるごとに明るく照らされる顔を。
「花火見てる人の顔ってさあ、みんなしあわせそうなの。つらいとか苦しいとか、そういう顔してる人って誰もいないの。面白いんだって。あっ」
「えっ?」
 また花火あがったっ。
 ああああ、光った光った。ドーンいった。
 見てる見てる。あーあ、口あけちやって。みんな間抜けな顔してるなぁ。
「でもみんな、しあわせそーな顔して見てるでしょ? 俺、それ見るの、好きなんだよね。谷村、花火もいいけど、人の顔も見て歩け? けっこういいぞ」
 けっこういい。



 申し出を断ってしまって、これからどう接していこう。
 ゆうべから今のいままで、私なりに井上さんのことを考えたつもりだった。これでも。
 なのに当の本人は、花火を見てる人の顔はいいと力説するだけ。ゆうべのことには何もふれない。
 拍子抜けだ。
(別に、いいんだけどさぁ)
 井上さんにばれないよう、こっそり口をとがらす。背の高い人が私の前をずんずん歩くのは変わらない。会社の人たちが集っている場所をめざして。
 道路に座り込むのは禁止されていても、中央分離帯にレジャーシートを敷いてしまっている人がいる。どこからか買い込んで来た食べ物を広げて。から揚げ、焼き鳥、枝豆。飲みものは缶ビール。
 花火に背を向けて歩き続けていたら、光が天にのぼっていく気配がした。
 一体いくつ、花が開いたのだろう。
 ぱああっと照らされていく人の顔。顔。顔。
 井上さんの言うとおりだった。不幸そうな顔はひとつもない。しあわせに満ちた顔。
 火花で明るくなった会場を見下ろしながら、少し微笑んでいる井上さんの横顔が見えた。左に曲がっていくので私もついていく。簡単なビニールテープで区切られている通路を歩く。ふかふかした土の地面。
 ゆうべからずっと井上さんのことを考えてきた。
 いい人だと思う。
 頼りになる先輩だと。
 一緒にいて楽しい。でも。恋をする相手じゃないと思ってしまう。
 恋をする相手じゃない。
 けれど、花火を見ている幸せそうな人の顔を見るのが好きなんだと言って笑った井上さんは、何だかちょっと、いいかもしれない。


 もう少し歩くとたぶん、会社の人たちのいる場所なのだと分かる。井上さんがきょろきょろし始めた。
 その間にも花火は上がり、会場中の顔が何度も照らし出される。
 井上さんは本当に、例の風景を見るのが好きのだと思う。典ちゃんたちの姿を探している間に、まったく違う方向を見ていたりする。
 おおー。と、つぶやくのが聞こえてしまった。
 へん。
 おかしな人。
 私のことはもう、どうでもいいのか。
 こっそり苦笑いしたあとで、井上さんの真似をしてみる。真似をして、もういちど花火の下の風景を眺めてみる。
 天辺に、光がのぼっていく気配がした。
 
 「終」
  2004.8.10 odagiri sunao 

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