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 長ねぎを刻んでいると、君が出前箱を持って帰ってきた。
 向かいのタクシー屋にエビフライ定食二人前を届けてきたのだ。
「ふうう、寒い。やっぱり上に何か着なきゃ駄目だあ」
 この寒い中、君はジャンバーを着ないで出かけていった。薄手のグレーのセーターの上にエプロン。細かい花柄のエプロンは、君の好きなルビーよりも深い色をしている。
 厨房の前のカウンターに七席。その向こうにテーブルが四つ。二人だけで営んでいる店としては、少し広い感もある。
 僕は「ご苦労さん」と小さく呟いた。俯いてまた長ねぎを刻む。ラーメンの上にのせる長ねぎだ。
 まな板が黒ずんできた。今夜も漂白剤をかけて殺菌消毒しておこう。
 長ねぎを刻むと汁が出てくる。たまに白い布巾で汁を拭き取り、きれいにしてやってから再度ねぎをきざむ。
 このまな板はいつから使っているのだろう。確か、娘が生まれる前からだ。
 自分の歳をすぐ口にだせなくなってしまったくせに、一人娘の歳だけは何故か知っている。あの子は二十五だ。東京の、よく分からない馬の骨のところに嫁いで行ってしまった。
 野菜や肉を上にのせて切り刻んできたこのまな板。包丁の細かい傷が、真ん中を中心にびっちり刻まれている。切り刻まれて、擦り切られて、板は随分へこんでいた。買い換えろ買い換えろと君はうるさいが、このまな板でなければ駄目なのだ。こうなったら、店をたたむまでこのまな板を使うつもりだ。
「もう客帰ったんだが?」
 店の中には君と僕だけ。
 見れば分かるのに、君はいつも通り同じ台詞を言う。だから僕も同じように返事をするのだ。
「ん。帰ったじゃ」
「んだのが。ああ忙しがったなぁ」
 客がいないので、君は遠慮なく疲れた顔をする。大きく息を吐く。細いその腕で持ち上げていた出前箱を地面に下ろし、腰をとんとんと叩いた。髪の毛が食べものの中に入るのを気にして被っている三角巾を、頭からはずしている。短く切った髪の毛に白髪はない。けれどだいぶ薄くなってきた。若い頃は、髪の毛がありすぎて整えるのに一苦労だと洩らしていたのに。
「おめ、ずいぶん髪なぐなってきたんでないが?」
 そう言うと、君はムッとした顔をする。
「あんただって、そうだべさあ」
 元気のいい口ごたえに、僕は長ねぎを刻みながら苦笑する。
 君はもう立派なおばあちゃんだ。
 若い頃の君は綺麗だった。君を目当てにこの食堂に来ていた客がいたのも知っている。
 だが言わない。それを言うと君がつけあがるので、口には出さない。面白くない。
 そして照れくさい。
「わたし綺麗でしょ?」
 君が時おりふざけて聞いてくるので、そういう時だけ言っていた。
 ---ああ、ああ。綺麗なんでないが?
 女というのは何時になっても綺麗でいたいらしい。
 顔がくしゃくしゃになってしまい、身体の線もくずれてしまっても、それを隠すような化粧をし、下着をつける。なかなか君はそれが上手い。いつも十歳は若く見られる。
 店の定休日は月曜日。明日だ。
 娘がまだ家にいたときのこと。
 月曜日、君はここぞとばかり娘に化粧をしてもらい、綺麗な格好をして出かけていった。娘と一緒にデパートに服を買いに行き、その帰りに少し高い店で飯を食べる。それが君の楽しみだった。
 僕の楽しみはパチンコだ。
 一番店が忙しい日曜日、客の出す無理な注文に対して腹を立てながら何とかやっていけるのは、休みの楽しみがあるからだ。
 重たく疲れる日曜の夜。それなのに次の日、僕は興奮して朝五時には起きてしまう。
 娘がいなくなってしまってから君はひどく寂しそうだった。月曜日、君はおしゃれもせず、居間でだらり横になってテレビを見てばかりだった。
 僕はそんな君を見るに見かねて、誘ったのだ。
「一緒にパチンコに行ぐか?」
 ついでのように付いて来た君と、パチンコ台に並んで座ったあの日。君はたった三千円で六万円も儲けてしまった。
 それ以来君はパチンコがお気に入りなってしまったようだが、それで良かったのだろうか。
 まあ、それもいいだろう。
 家でつまらなそうな顔をしている君よりも、元気な君がいい。張り切って化粧をし、いそいそと出かけていく君がいい。
「善光寺から手紙来てらったよ」
 君がやはり元気な声で言う。
「……あ?なんの用事や」
 長ねぎをきざむ手を休めた。
 「重要」と赤い文字で印刷された大きめな封筒を、君はびりびりと開けていく。その手はあかぎれていた。何度も石鹸水を行き来し、コップや食器を洗った手。
 この時期、君の手はひどいくらい荒れる。クリームをいくら塗っても、そのあかぎれは治らない。指の関節のところにひびができ、切れて血が出てしまうくらいに、ひどい。君の手あれがひどいのを可哀そうに思い、高い洗剤に変えたところ、少し改善されたようで良かった。
 封筒の中には払い込み用紙と手紙が入っていた。
「あーあーあーあーまたあれだ。金払えって。ほら、墓の。去年もきたべさ、これ」
「……ああ」
 三年前に墓地を購入していた。
 君と僕の二人だけで入る、墓地だ。
 ここからタクシーに乗って二十分ほどのところにある、小高い寺にある土地だ。土地の値段はそれほど高くないのだが、維持費として一年にいくらか納めなければいけない。
 近くには僕の親族がいる。本家の墓もある。
 そこに入ってもいいのだが、死んでからも肩身の狭い思いを君にさせるのは嫌だった。もしかして君は僕と一緒の墓に入るのが不服かもしれない。けれど、本家の墓に入るよりはましだろう。
 僕と君の二人だけの墓。
 そこでは、家でだらり横になってテレビを見るように気楽でいられるはずだ。おそらく。
 僕もそうだ。墓に入ってから親にとやかく怒鳴られるというのも落ち着かない。悩んだが、二人にとって一番いい形をとった。
 二人だけで墓に入る。
「なんぼや」
「あ?」
「なんぼ払うの?」
「えーっと…」
 君は払い込み用紙に顔を近づける。だが、細かい文字が見えないらしい。紙を目からすっと離して文字を追う。
「一万八千円だってさ」
「どごに払い行ぐの」
「郵便局。あ、コンビニでもいいみたいな事ば書いでらよ。たげ便利になったなあ、いまは」
「……ふうん。せば、おめ、暇な時見つけて払いに行って来いじゃ」
「うん。どうせだはんで、今すぐ行って来るじゃ」
 君は明るく頷く。花柄のルビー色のエプロンのポケットから、またまたルビー色の財布を出している。
 今の時間だば、そう客も来ないべ?と、君。
 僕の手。
 長ねぎを包丁で刻む手は休んだままだ。
 手を包丁で切ってしまうのは日常茶飯事だ。昔の切り傷が消えずに手の平や指にいくつも残っている。
「……なにや…。おめ、すぐ払いに行ぐのが?郵便局に行ぐのが?」
 郵便局は遠い。
 君がいない間に客が大勢来られたりでもしたら。僕はとても一人では応対できない。
「いやいや、まさかあ!だーしてあったら遠い郵便局に行ぐがしてぇ!すぐそこのコンビニさ行って払いに行ってくるのさ。ついでにお菓子買ってくるじゃ」
 お菓子、と言いながら君は歯を見せて笑う。
「何買うんだが」
「あんぱん」
「……まだおめえは、そったらもんばっかり食って…」
 僕の呆れた顔を見て、君はうふふっ、と誤魔化し笑いをする。
 君は笑うと鼻のてっぺんがしわだらけになる。目じりも。そのしわは、普通の顔をしていても取れなくなってしまった。
 昔の精悍さはその顔にない。
 しわだらけの君は、すっかりおばあちゃん。何だか子供のように可愛いのだ。最近そのように思う。
「あんたも何か食べたいのある?買ってくるけど」
 君が尋ねてくる。
 僕は「キムチ漬け」を買ってくるように頼んだ。コンビニエンスストアのキムチ漬けをなかなか気に入っているのだ。
「せば、ちょっと行ってくるね」
 君はご機嫌な顔をして出て行こうとする。
 その笑顔の裏で何を考えているのだろう。
 君の大好きな甘ったるい「あんぱん」のことか。それとも、明日行く予定のパチンコ屋「ラッキー西バイパス店」のことか。
 君にとって「墓に入る」ということは、まだまだ先という思いなのだろうか。笑うと、くしゃくしゃになる君の顔。
 僕は君に、どういう顔をしたらいいか分からなくなってしまう時がある。
 まな板に視線を写す。細かく刻んだ長ねぎは、右手の側にこんもりと盛られていた。緑と白の山。
「あっ、いらっしゃいませー」
 君が突然よそいきの声をあげた。
 それを受けて僕はふっと顔をあげる。
 出入り口のドアが開いて客が入ってくる様子が見えた。
 団体客、四名。
 よく来る連中だ。あの客らは、カツカレーの大盛りが好きなのだ。
 ロースの切り身四枚を頭に浮かべる。付けあわせのキャベツの千切り、トマト、そしてキュウリ。ドレッシングも。自然に浮かんでくる。
 コンビニに行こうとしていた君が慌てて戻ってくる。
 その顔はもう笑っていなかった。「あんぱん」を食べたいと言っていた、おばあちゃんの顔ではない。カウンターの端にあったコップの山から、四つを取り出して冷たい水を入れている。
 多分僕も君と同じような顔をしているのだろう。
 君と一緒に入る墓のことや、パチンコ屋「ラッキー」のことも、娘のことも、頭の中から消えている。ロースの切り身や、生パン粉や、サラダ油やラードのことを考えている。
 やはり団体客はカツカレー大盛りを頼んできた。きっちり四人分。
 はい、と返事をし、冷蔵庫からロースの切り身を取りに行く。あとで切り刻んだ長ねぎをタッパーに入れておかなければ。まな板の上で、長ねぎはまだ山盛りだ。
 君は団体客のテーブルの上に水を置いている。
 「おばちゃん、今日は寒いねえ」との声に、くしゃくしゃの笑顔で答えている。
「んだねえ。もう少ししたら雪降るし、積もるんだべねぇ。今年の冬はどんだべね。あまり降らないで欲しいねえ。雪かき大変だじゃあ」

 もうすぐ十二月だ。

 閉店時はぐったり疲れて後片付けをするのだろう。黒ずんだまな板を漂白するのだろう。
 居間に戻ったら僕は、エプロンを取った君と一緒に、だらりと横になってテレビを見るのだろう。
 僕はビールと一緒にキムチ漬けを食べるのだろうし、君はあんぱんを食べるのだろう。
 夜が深まった頃。娘がいなくなってから一緒に眠るようになった僕たちは、一つの布団でいびきをかきながら寝るのだろう。
 明日は月曜。
 僕はおそらく興奮して早く起きるのだろう。
 そして君は張り切って化粧をし、いそいそと出かけるのだろう。
 僕も君が行きたがっていたパチンコ屋「ラッキー」に行くつもりだ。CR機「大工の源さん」のところで会うかも知れない。その時はよろしく。
 もうすぐカツは揚がる。
 作っておいたカレーは鍋の中で温まっている。パチパチとはねあがる細かい油の音と、カレーの匂い。
 僕は鍋に入った四人分のカレーを大べらで混ぜながら、中華なべの油の様子を見る。先ほど濾したばかりの油は透きとおっている。箸でカツを掴んで衣の色を確かめる。まだ色が薄い。僕は油の中にカツを落とした。
 カツはまたパチパチと音をあげる。油が手にはねあがるのだけれど、もう慣れて平気になってしまった。熱さは気にならない。
 少し手が休まった時。仕事中は君の事をあまり考えないけれど、ふっとよぎるのだ。すぐ隣りで付け合せのサラダを作っている君の事を。想うのだ。
 君を見つめた。
 洗剤に負けてあかぎれてしまった君の手が、トマトをつかんでいる。キャベツの上にトマトをのせると、次は皿にご飯を盛り始めた。
 君の手はやはりおばあちゃん。
 包丁の切り傷だらけの僕の手も、負けずにおじいちゃんだ。その手が、いま、きつね色になったカツを油から取り出そうとしている。
 仕事に集中すると、僕たち二人のことなどどうでもよくなってしまう。
 けれど最近強く思うのだ。君と一緒になってよかったと。
 墓に入ることになったら、その時もよろしく頼むと。
 
 (了)2001/11/20

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